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「NHK大河ドラマではやはり描きづらい」20人の婚外子をもうけた渋沢栄一の”婦人ぐるい”

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1. 匿名@ガールズちゃんねる
http://president.jp/articles/-/53258
次女の琴子が生まれた明治3(1870)年ごろ栄一と関係をもった「くに」は、明治4年に「ふみ」、6年には「てる」と、2人の娘を産んでいる。しかも妻の千代の許しを得て、神田北神保町の屋敷で、妻妾同居の生活を始めてしまったのである。
明治2(1869)年に大蔵省に出仕した栄一は、翌年に大蔵少丞、翌々年には大蔵大丞、その翌年の明治5年には、現在の事務次官に当たる少輔事務取扱にまで驚異の出世を遂げているが、そのエネルギッシュな猛進を支えていた裏には妻妾同居があった。
ちなみに、くにが産んだ娘は、「ふみ」は、妻の千代の実兄でもあった尾高惇忠あつただの次男、尾高次郎に。「てる」は千代の姉の息子で、のちに日本の製紙王と呼ばれる大川平三郎に嫁がせている。
さらには、明治15(1882)年に千代を亡くした栄一が伊藤兼子と結婚すると、「くに」を官僚の織田完之かんしに嫁がせている。
栄一は広範な人脈を生かして、女遊びの「後始末」にも、常に抜かりがなかったのだ。
2021/12/27(月) 22:45:35
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Source: ガールズレポート

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